レポート - REPORT

2003年某月某日

卒業制作「SEVEN DRIVES」が入選との吉報を頂く。10月の連休3日間に映画祭が開催されるとの事。

早速フィルムを送ることにする。

2003年10月某日(金) 1日目

午後、東京駅から新幹線にて仙台へ。これまでの決して経験豊かとは言えない人生の中で、とりわけ仙台は馴染みのない土地だったが、「杜の都」や「伊達政宗」などの響きから、空気が澄みきった凛としたイメージを勝手に抱いていた。

幼少の頃、一度だけ家族で仙台に来た事があり、駅で西武ライオンズの選手と遭遇したことがあるくらいである。

そんなことを思っているうちに、あっ、という間に仙台駅に到着。意外に近い。

駅に降り立ち、映画祭の会場となるせんだいメディアテークへ向かう。徒歩15分と何かに書いてあったので、見物を兼ねて歩くことにする。駅前の街並みはいたって普通。大宮駅(または水戸駅でもいい)と言われても「あ、そう」と言いそうなくらい普通。

地方の都会化・没個性化はいつから言われているかは知らないが、若干興ざめる。

目的地、せんだいメディアテークに着き、全面ガラス張りの先進的な建築に目を奪われつつ、映画祭の担当者の方に挨拶をしに会場へ向かう。コンペ以外にも様々なプログラムが組まれており、すでにかなり沢山のお客さんが入っているとのこと。喜ばしい話である。

会場内は一般のお客さんで埋まっているとのことなので、映画鑑賞は明日からすることにする。

この日は限りなく安く、限りなく普通の家に近いユースホステルへチェックイン。一昨年イギリスへ行った折に作ったユースの会員証が役に立つ。面白そうなので相部屋に泊まることにする。

着くとすでに相部屋には2人の宿泊客が馴染んだ様子で話している。若干気後れしながら挨拶をして互いの素性を探りあう。が、すぐに打ち解け、一緒に酒を買いに出かけて、食堂で談話。

一人は大学院生で東京からバイクで来たとのこと(しかも一般道)、もう一人は仕事で海洋関係の仕事をしている会社員とのこと(飛行機が飛ばず帰れなくなったらしい)。

海の話をひとしきりして、疲れで酔いが回ってきたところで就寝。

2003年10月某日(土) 2日目

朝、目覚めると相客の二人は既にいない。自らの寝坊癖を呪いつつ、そそくさと準備をして仙台の街へ。

フレッシュネスバーガーにて朝食を摂りながらペンを執る。

実は遡ること1週間前、ある知り合いからショートフィルム制作の依頼を受けており、そのシナリオがまだ出来上がっていない。話を貰った時点から納期まで3週間しかなく、しかも仕事の合間を縫って制作しなければならない。「最近、暇?」と電話を掛けてきた知り合いと気軽に「まあ」と答えた自分を呪いつつ、仙台の大通りを望む席で執筆。なかなか構成がまとまらず頭が痛い。

といつつ、午後は仙台に住む旧友と会うことにする。高校まで一緒だった友人が、T北大学薬学部の院生で仙台に住んでいるのである。

実は昨日は彼の部屋に泊めてもらう算段だったのだが、学会の発表用の資料作りで忙しいと無下に断られ、「学会なら」と納得し仕方なくユースホステルに泊まったのである。

しばらくして友人が車にて到着。

久しぶりの再会を祝いつつ、車で仙台を案内して貰う。広大な土地を有するT北大学をかすめ、伊達政宗の墓を素通りし、駅周辺をグルッと回って仙台観光は終了。「何も無いよ」という友人の言に違わずあっという間に終了した。その間、後学の為に旧帝大院生の友人に薬のことなどを尋ねる。

俄か知識で抗体のことなどを聞いたりしてみるが、結局は大学の研修で某女子大薬学部と一緒になれるというような話に収束していく。その後、仙台名物牛タンの旨い店へ案内してもらい昼食。

なぜか逆に奢って貰い、学会の準備が忙しい友人は帰っていった。

時を置かず、「SEVEN DRIVES」のスタッフが東京から車にて到着。

カメラマンの小笠原、制作の福田、助監督の青木の見慣れた面々である。

夜のスペシャルイベントまで時間があるので、かの有名な松島まで行くことにする。

他愛のない会話をしつつ車を走らせ松島に着くと、既に陽が暮れ始めている。慌てて最後の観覧船に貸切状態で乗り込むと、夕陽に照らされた松島の絶景が広がり、言葉に尽くせぬ感動に包まれて男4人、赤い海と空に見入る。

その後、道に迷いつつせんだいメディアテークへ。しばらくして1Fの吹き抜けフロアでスペシャルイベントが始まる。写真家の佐内正史さんのスライド写真を巨大な壁に映写しつつ、それを観ながらくるりの岸田繁さんがライブで歌うという豪華な試み。どこで噂を聞きつけたのか仙台のお洒落っ子たちが集まり始めフロアが人で埋まり、いつの間にか蚊帳の外へ。

その後、映画祭関係者の方々と近くの居酒屋へ行く。

同じくコンペにノミネートされていた日向さんが既に席に座っており、挨拶をする。日向さんは大学の先輩でこの時初めてお会いしたのだが、急に男4人に馴れ馴れしく話しかけられ、困惑されていた様子。

しばらくして、くるりの岸田さんと写真家の佐内さんが到着されて次第に盛り上がりはじめる。熱狂的なくるりファンの青木がいつのまにか緊張した面持ちで、図々しくも岸田さんの隣の席に座っている。

しかもメールアドレスを教えて貰ったらしい。なんて奴だ。

男4人は遠い所に泊まることになっていた為、名残惜しさを残しつつ早々に中座して宿へ。

宿についてから例のショートフィルムの制作の打ち合わせをして就寝。

2003年10月某日(日) 3日目

昨日遅くまで打ち合わせをしていた為、また寝坊気味で目覚めて再びメディアテークへ。

今日のコンペ部門の上映と審査発表は夕方からなので、男4人ブラブラと仙台の街を散策する。

しかし、シナリオの構成が決まらず気持ちが晴れない。そんな胸中を知ってか知らずか、カメラマンの小笠原と制作の福田が仙台の風俗に行く算段を始めだす。もちろん杜の都の歴史的な風俗などではない。

結局、小笠原と福田は昼間から仙台の風俗街へ消え、青木はどこかへフラフラと出かけていった。

とりあえずシナリオを書き上げなければならないので、再び例のフレッシュネスバーガーでペンを執る。

風俗へ消えた2人への腹立たしさからか、又は己の不寛容さゆえなのか、全く進まない。

夕方、男4人は再び合流してメディアテークへ。

小笠原と福田が勝った負けたなどと報告し合っているのが腹立たしい。小笠原が恋したなどとのたまわっているのも腹立たしい。この時点で彼等が映画祭に来たにも関わらずまだ1本も映画を観ていないのも腹立たしい。

その後、東京からスタッフ第2陣がやって来て合流。純粋にスタッフと呼べるのは録音助手をやってくれたホッシーだけで後は大学の後輩であるが、わざわざ東京から車で来てくれたのが嬉しく、小笠原と福田の不遜な行動をしばし忘れる。気を取り直して、コンペのノミネート作品に見入る。

それぞれ作品の作りが全く違うものが選ばれていて面白い。

審査の待ち時間に日向さんと話していたら、やはり日向さんも松島に行ったとの事。

こういうのは地方の映画祭ならではで東京の大きな映画祭では味わえない楽しみである。

審査発表の時間がやってくる。審査員の阿部和重氏と佐内正史氏が壇上へ、青山真治氏は欠席とのこと。会場があまり大きくないため阿部氏との距離が異様に近い。昨日まで姿が見えなかったノミネート監督の方々も緊張の面持ちで隣に座っている。いよいよ講評と発表の時が来るが、またしてもここで途中退席することに。車で帰ることを考慮すると、これ以上仙台にいると東京に着いてから終電がなくなってしまうからである。明日の朝からまた仕事をしなければならない。

助監督・青木と制作・福田とともに審査員の方々に会釈をしつつ肩身狭く退席。

発表の結果はカメラマンの小笠原と第2陣スタッフに任せることにして、杜の都を後にする。

高速道路を猛スピードで車を走らせながら福田・青木の両氏とショートフィルムの打ち合わせ。

シナリオはまだ出来ていないが撮影日を考えると制作準備を始めなければならない。とりあえず登場人物は決まっている為、それぞれ心当たりのある役者へ携帯で連絡を取る。

そこへカメラマン小笠原から審査結果のメールが入ってくる。受賞ナラズ、とのこと。

一方、役者の出演交渉は順調に進み、ほとんどの出演者が決まり始める。

新しい作品が具体化していく喜びと、「SEVEN~」の落胆が交差しつつ車は一路東京へ。

ふと運転席の福田を見ると、涼しげな様子でメーターが160キロを指している。

瞬間、強烈な赤い光がピカッと車を照らし、「あっ」と呟く福田。オービスである。栃木県の真ん中あたりの高速道路でオービスである。後日、福田は栃木まで罰金を払いにいくことになるが、それはまた別の機会に福田が報告してくれるはずである。

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