レポート - REPORT

2004年2月某日 夜 「最終電車は到着しない 新夕張→新千歳空港」

映画祭の興奮冷めやらぬまま、同じくノミネート監督のK氏とともにタクシーで新夕張駅へ。

新夕張駅からは最終電車に乗って2時間半ほどで新千歳空港に到着する。

K氏は本日の最終便で東京に戻り、僕は明日の一番の便で東京に着くことになっていた。

しばらくしてタクシーが新夕張駅到着。しかし、そこで衝撃の事実が判明した。

新千歳空港へ行く最終列車が雪のため立ち往生して定刻に到着しないというのである。

今日の最終便で東京に戻らなければならないK氏はそれまでの態度とは打って変わったように焦り始め、このままタクシーで空港まで行こうと言い始める。

明日の朝の便で帰れば仕事に間に合う僕はそれほど急ぐ必要も無かったが、お金は出すというので便乗することに。

タクシーの中、K氏は差し馬の騎手のように運転手をせかし、その顔はまるで悪鬼のようである。

ふと窓の外を見ると、漆黒の空から雪が激しく降り始めている。

2時間後、かろうじてタクシーはフライト直前に到着、K氏は空港へ走り去っていった。

そして僕は明日一番の便で帰るため、空港のホテルへチェックイン。

明日7:50の便に乗り羽田空港には9:20着、すこし遅刻して仕事には間に合う算段である。

窓から見える雪の空港を眺めながら、6:30に目覚ましをセットして就寝した。

本当の地獄はこれからだった・・・。

2004年2月某日 朝 「飛行機は飛ばない 新千歳空港」

朝一番の飛行機に乗り込んだ僕は、自分の立てたスケジュールの完璧さに満足しながら明日の撮影のことを考えていた。

明日の午前から大きな作品の撮影が入っていて、僕は制作チーフとしてその現場を管理する立場にあるのである。東京に戻ってから最終確認をして、明日の撮影は万全の態勢で臨めるハズ。

と思ったのも束の間、北海道の自然はそれほど甘くなかった。事態が一変したのである。

昨夜からの記録的な猛吹雪で飛行機が飛ばないという。

飛行機から降ろされチケットカウンターへ向かうと「本日、全便延期」の文字。

弛緩した脳に戦慄が走る。

すでに空港はフライトを待つ乗客で溢れ、カウンターには長蛇の列が出来始めている。

ようやくカウンターに辿り着くと「次の予約は明日の昼になります」とのこと。

「ナニヲイッテルンダ」。頭の中で何かが弾けた。

明日の昼に飛んだって撮影には間に合わないじゃないか。東京で撮影が行われているときに、遠く北海道の地で飛行機を待っている制作がどこにいるんだ。

思考回路をフルに回転させて僕はJRの窓口へ走った。

同日 昼 「電車は動かない 新千歳空港→苫小牧」

JRの窓口は見えなかった。

正確には人の列が長すぎてその先に窓口があるのか分からなかった。

しかし、空が駄目なら陸で行くしかない。明日の撮影に間に合わせるためには何としても朝までに東京に着かなくてはならないのだ。

僕は、深夜列車で青函トンネルを通って明日の早朝に上野に着こうと考えた。

とりあえず今日の仕事は仕方が無い。映画祭には会社に内緒で来ている為、すでに他界した祖父に再び他界してもらうことにして会社へ電話を掛ける。

ひっきりなしに流れるアナウンスが電話口から聞こえていないか不安になりつつも無事に連絡。

待つこと1時間、やっと窓口に着くと「函館までの電車は出ますが、その後は分かりません」との冷たい言葉。

「ナニヲイッテルンダ」。再び何かが弾けた。

「どこまで行けるか分かりません」と言われたってこっちはもっと分からない。

仕方なく「どこまで行けるか分からない」電車に乗って一路函館へ。

函館まで行ければ本州は近い。少しでも本州へ。(JRのキャッチコピーみたいだ)しかし走り始めた電車は2つ目の駅で案の定ストップ。待てども待てども動かない。

何と待つこと6時間である。名前も知らない小さな駅で6時間である。

窓の外には轟々と降りしきる雪。電車の中には諦めて酒盛りを始める乗客たち。

しかし、諦めるわけにいかない僕は満員電車の中で一人冷や汗を垂らしていた。

明日の撮影に間に合わなければ誰が段取りをするんだ。ロケ先との交渉は?香盤は?役者は?

明日の撮影を飛ばしてしまったら果たして幾らの損害だろう。おそらく余裕で500万は超える。

意を決して駅の外に飛び出した。

あたり一面真っ白の世界をタクシーは走った。

タクシーの中には僕ともう一人、タクシー乗り場で行き先が同じだった受験生が乗っている。

行き先は苫小牧である。なぜ苫小牧か。船である。船が出るのである。青森の八戸まで。

受験生は東北大学を受験する予定だったが飛行機が飛ばず、やはり船で仙台までいくという。

偶然にも最悪な状況で出会った僕たちは猛吹雪の中、タクシーに乗って揺られていた。

「豪雪の時はね、アクセルとハンドルだけ。ブレーキは厳禁」と運転手さんは局地的なレクチャーをしながらズルズルと後輪を滑らせて走る。

同日 夜 「船が出る 苫小牧→八戸」

パルプ工場で有名な苫小牧の港から船に乗った。空から陸へ、陸から海へ。まるで「桃鉄」だ。

今までの喧騒が嘘のように船は暗い海をゆっくりと出発していく。

最初は一番安い3等客船に乗っていたが、極度の疲労と観光客の騒ぎに耐え切れず、個室へ。

「映画祭に来たのになぜ船に乗っているんだ」。疲れがドッと吹き出し、泣けてきた。

船は明日の朝4:00に青森の八戸港に着き、そこから一番の新幹線に乗れば東京に昼前には着く。

なんとか撮影にギリギリ間に合うのである。

暗い窓の外、いつのまにか吹雪はやんでいた。

2004年2月某日 朝 「グリーン車は行く 八戸→東京」

朝4:00、船から降りると八戸港はまだ暗かった。

港から駅までは距離がある為、タクシーで駅へ。しかし新幹線が出る7:00までは随分時間がある。

まだ灯のともらない八戸駅近くのコンビニで地元のヤンキー雑誌を読み漁る。

あっという間に飽きて、寒い八戸駅をうろつくこと2時間半、やっと新幹線が到着。

僕はグリーン車に乗り込んだ。なぜグリーン車か?チケットが無かったのである。行き当たりばったりで八戸まで辿り着いたためグリーン車のチケットしか残っていなかったのである。

ここに至るまでに飛行機、電車、タクシーと金をザブザブ浪費してきたからすでに金銭感覚が狂っていたというのもある。

通常より2倍ほど広い客席に足を伸ばし、アテンダントから冷たいおしぼりを受け取り、2倍の料金を払って、やっと陸・海・空を駆使した夕張→東京の長い旅は終了した。

もちろんこの時点で映画祭のことは忘却の彼方へ消し飛んでいた。

フォトレポート

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